飛び出す絵本「鉄腕アトム」Part.9

★「鉄腕アトム」の面白情報箱②

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★「鉄腕アトム」のもととなった漫画とは?

 「鉄腕アトム」には、もとになった漫画がある。1951年に光文社から出版されていた月刊誌「少年」4月号から連載された「アトム大使」だ。「アトム大使」は、未来の地球を舞台に宇宙との交流を描いたSF漫画で、その作品の中で、活躍したのが「アトム」という名前のロボット少年だった。この漫画で登場したアトムは、まだ主人公ではなく脇役だった

 1952年、「アトム大使」と同じ雑誌「少年」でアトムを主人公とした作品「鉄腕アトム」の連載が始まった。

★漫画の連載はいつから?

アトム大使 月刊誌「少年」(光文社)  1951年4月~1952年3月

鉄腕アトム 月刊誌「少年」(光文社)  1952年4月~1968年3月

鉄腕アトム 鉄腕アトムファンクラブ(虫プロダクション

                     1964年8月~1966年3月

鉄腕アトム 産経新聞    1967年1月24日~1969年2月28日

★原作者の手塚治虫はどんな人?

 1928年11月3日、大阪府豊中市の生れ。本名は、手塚治(てづか おさむ)。幼い時から昆虫が好きで、ファーブルを思わせる少年であったという。小学校4年生のとき、昆虫図鑑オサムシを見た級友が「手塚オサムシ」と冗談をいったところ、本人が黒板に「命名 手塚治虫」と書いてペンネームが誕生した。自身のペンネームに「」という字を当てたことでも、虫に対する愛着がよくわかる。

1946年、大阪帝国大学附属医学専門部在学中に4コマ漫画「マアチャンの日記帳」で漫画家としてデビューした。医者になるか漫画家になるか迷っているときに、母が「あんたがそんなにすきなのなら、東京へ行って漫画家になりなさい」と背中を押してくれたことで決心したと著書で記している。戦争体験から生命の尊さを深く知り、医学の道を志して後年、医学博士になるが彼自身が一番望んだ漫画家という職業を選んだ。

手塚は、自分のプロフィールに趣味は、多芸多才と評している。若いころ、近所に住んでいた桂春団治に寄席のポスターを頼まれて描いたときに「手塚さん、ええ声をして、よく通る声をしてはる」と褒められ落語に興味をもって勉強を始めた。ソニーからテープレコーダーが初めて売り出されたときにいち早く買って、『厩火事』の稽古に使っていたようだ。

1947年、酒井七馬原案の単行本「新宝島」がベストセラーとなり、赤本ブームを起こした。その後、漫画雑誌に登場し、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」といったヒット作を次々と手がけた。

それまでの漫画の概念を変え、数々の新しい表現方法でストーリー漫画を確立し、多くの漫画家へ多大な影響を与え、漫画を足場にテレビや映画にも進出を図った。

1963年、日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ「鉄腕アトムを制作、日本のテレビアニメへ多大な影響を及ぼした。1970年代には「ブラック・ジャック」「三つ目がとおる」「ブッダ」などのヒット作を発表。また晩年にも「火の鳥」「陽だまりの樹」「アドルフに告ぐ」など青年漫画においても傑作を生み出す。

また、手塚の作品は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの各国にも輸出され、世界の子供達の夢を育んだ。加えて大人向け長編アニメの制作など、アニメのあらゆる可能性にチャレンジし国際的に大きな評価を得た

映画史上にエポックメーキング的な名画「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督から、美術担当を手塚治虫依頼してきたが、多忙な時期だったため断った。巨匠からの依頼を断ることができるのは、手塚治虫しかいないだろう。もし、手塚治虫が美術を担当したら「2001年宇宙の旅」は、どんな映像になったかを想像してみるのも楽しい。

デビューから1989年、亡くなるまで第一線で作品を発表し続け、「マンガの神様」と評された。

鉄腕アトムとは?

鉄腕アトムは、光文社の月刊雑誌「少年」連載の漫画「アトム大使」では主人公ではなかった。このころのアトムは、女の子のロボットとして描かれていたようだ。大きな目で長いまつ毛、そして、すらっとした脚も女の子ぽかった。宝塚で生まれ、幼少期から母に連れられて宝塚歌劇団へなじみが深いことも影響しているようだ。手塚の描くアトムには、必ず5本のまつげがある。手塚自身が語っているところによると「アトムを作った時には、女として作った。ところが描いていくうちに十万馬力とか、7つの能力とかを備えて、とうとう男の子になってしまった」ということである。

、逆に「リボンの騎士」のサファイアは、宝塚歌劇団の女性の男役が感じられる。

アトム大使」最終回で、次号からは「鉄人アトム」がはじまると 予告されていたが本編では「鉄腕アトム」になっていた。

原作では、2003年4月7日がアトムの誕生日とされている。その4月7日は、「鉄腕アトム」の連載が始まった「少年」の発売日だった。

交通事故で息子を亡くした天馬博士は、息子の「天馬飛雄」に似せたロボットを造って息子の名前から「トビオ」と呼んでいた。人間とほぼ同等の感情とロボットならではの様々な能力を持つ優秀なロボットで10万馬力のパワーは、主題歌でも歌われて有名となった。鉄腕アトムは、自律型のヒューマノイド、つまりヒト型ロボットということである。しかし、人間のように成長しないことに気づいた天馬博士トビオをサーカスに売ってしまう。

サーカスでは、団長から「アトム」と呼ばれるようになった。やがて、アトムの可能性に着目していたお茶の水博士に引き取られ、ロボットの家族と家を与えられ、人間の小学校に通うようになる。

性格は真面目で正義感が強く、困った人がいれば、自身を犠牲にしてでも手を差し伸べる優しい心を持つが、ロボットである自分に苦悩や葛藤することも多い。

 海外では、「アストロボーイ」の名前で広く知られている。

鉄腕アトムの頭は形は何でできているの?

アトムの頭には二つのとがったものがある。だとかツノだとかと思われているが手塚は、あれは髪の毛だと語っている。若いころ、天然パーマで風呂から上がるとモヤモヤと髪の毛が立って困っていた。その髪をアトムの頭のように二つとがらせて遊んでいた。その時の髪形をアトムの頭に採用したようだ。

この髪形は、アトムがどちらに向いても二つに見えるように描かれている。現実的にはおかしな話だが、手塚は、ミッキーマウスの耳でも同じことと言っている。ミッキーマウスもどちらに向いても二つの耳が描かれている。これらを漫画のウソ。漫画にとってウソは大事なものと説明している。

鉄腕アトム保有する7つの能力

アトムは7つの能力を持っている。しかし、7つの能力は、作品によって内容が変わっているが、初期の作品で紹介された7つとは、

1.ジェット噴射で空を飛び宇宙ではロケットに切り替わる

2.60ヶ国語をあやつる

3.力は十万馬力

4.聴力を千倍にできる

5.目がサーチライトになる

6.どんな計算も1秒

7.人間の心の善悪を見分ける

★漫画家の集まりトキワ荘

手塚治虫は、鉄腕アトムが月刊誌「少年」で連載が始まった1952年(昭和27年)に上京した。最初は、新宿区四谷の八百屋の2階に下宿していたが、昼夜を問わず編集者の出入りが激しく、八百屋の主人から苦情を言われるようになった。

手塚は、学童社加藤謙一の次男・加藤宏泰から、豊島区南長崎にある新築アパート「トキワ莊」へ入居するように誘われて、1953年(昭和28年)に移転した。その後、学童社は、自社の雑誌に連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた。多い時期には8名の漫画家が居住し、漫画家の仲間も出入りするようになったため、「マンガ荘」というニックネームが付けられた。

トキワ荘の住人で漫画仲間の兄貴分にあたる寺田ヒロオには、「トキワ荘を漫画家の共同生活の場にしていきたい」「漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあった。また、雑誌編集部の「締め切りに追われる漫画家たちが他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という思惑と、「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害が一致したことも漫画家がトキワ荘に集まった理由だと思われる。

1955トキワ荘の住人を中心に結成された新漫画党のメンバーは、次の通り。手塚治虫をはじめ、寺田ヒロオ藤子不二雄藤子不二雄藤子・F・不二雄鈴木伸一森安なおやつのだじろう石森章太郎赤塚不二夫園山俊二

漫画家たちがトキワ荘に住んでいた頃の状況を自伝として描いた作品は、「トキワ荘物語」として翠楊社より1978年に出版された。

また、1981年、手塚治虫を中心としたかつて居住した漫画家たちが集まって同窓会が開かれた。その模様はNHK特集「わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~」として放送された。

★登場人物の紹介

●天馬博士

本名は天馬午太郎で、アトムの生みの親(製作者)。お茶の水博士は、生みの親でなく育ての親だ。練馬大学卒業。狂気の天才といわれる科学者。事故で亡くした息子、飛雄への思いからアトムを製作することになった。しかし、アトムをサーカスに売ってからはアトムに会うことはほとんどなくなった。科学者としては非常に優秀で、アトムを手放した後も見守っている。

●天馬飛雄

 天馬博士の息子。幼くて交通事故で亡くした息子の飛雄の身代わりとして天馬博士アトムを制作するきっかけとなった。

お茶の水博士

科学省長官。トレードマークの鼻は、作者である手塚治虫の団子っ鼻に由来する。ウランコバルトなどアトムの弟妹のロボットを造り、アトムの良き理解者で父親代わりである。アトムに「人間の心」を説き、「正義とは何か」を教える教育者。アトムの生みの親と誤認されることが多いが、正確にはアトムの「育ての親」に当たる。  

お茶の水博士という名前の由来は御茶ノ水である。

●ウランちゃん

アトムバースディ・プレゼント用にお茶の水博士アトムの妹として作った女の子のロボット。アトムのような7つの能力を持たないものの、10万馬力の力を持つ。しばしば悪人たちに人質として取らえられることがある。お転婆でわがままだが、お兄さん思い。

プルートウ

 元王族のサルタンが作らせた地球最大のロボット鉄腕アトムの作品で、最も人気のあるロボットだ。プルートウという名前は、ギリシャ神話の「冥界の神」のこと。「ロボットの王」となるためアトムら七人のロボットたちと戦う闘士でパワーは百万馬力。両腕を回転させて飛行、両のツノが敵をはさんで放つ破壊電磁波は強力な武器となっている。腰の突起から電磁性遮断ビームを張る。アトム史上最も人気のあったライバルで、“単なる悪役”ではなく、秘めたる悲しみと深い知性すら感じさせる。アトムの説得に感化され、本当のロボットの使命を知ることになる。

アトムとの戦いを拒否するが、プルートゥを倒すために作られたロボット、ボラーと戦いで敗北し自爆する。

●ボラー

ゴジ博士が造った200万馬力のロボットで鳥を模した双頭のデザインとなっている。「ボラー」と叫ぶだけで家を吹き飛ばすほどの威力を持っている。ボラーは、阿蘇山プルートウと戦い、一緒にバラバラになってしまう。