飛び出す絵本「シルバー仮面」Part.4

★「シルバー仮面」(とびだすえほん)P.3、4の映像と本文

<本文>

「シルバー!!」

シルバー仮面は、ゆきを ふらせる ノーマンせい人を たおすため かけつけた。

「ヒュヒューッ!!」

ノーマンせい人の はく ふぶきに、シルバー仮面は こおりつき そうだ。

「シルバー ファイヤー!!」

シルバー仮面は からだから 火を だした。 ノーマンせい人は、火の あつさに くるしくなって たおれた。

「みたか、シルバー仮面の 力を!!」

                            血脇 正治・画

シルバー仮面」(とびだすえほん)P.3、4の解説

 本を開くと、シルバー仮面が高速道路の向こうから飛び出してきているビル街の真ん中に高速道路が架かっているノーマン星人の吐く吹雪で周りは凍り付いているシルバー仮面が体から火を出したので、ノーマン星人は、暑くて苦しみ倒れている周りには、雪に埋まった車で溢れている

<登場ヒーロー>

<宇宙人>

  • ノーマン星人

<登場場所>

  • ビル街

<登場するしかけ>

  • ビルの右にある矢印を左右に動かすミラーマンが攻撃するため、上体を左右に動かす

<このページの画>

  • 渡辺 正美

 

飛び出す絵本「シルバー仮面」Part.3

★「シルバー仮面」(とびだすえほん)P.1、2の映像と本文

<本文>

五人の 春日きょうだいたちは、ちきゅうを ねらう うちゅう人と たたかって いた。 うちゅう人との たたかいは くるしいが、きょうだいは まけなかった。 ゆうかんな きょうだいは、いつも 力を あわせて、ちきゅうを まもって きたのだ。

「光二、たのむぞ!!」

「がんばるよ!! にいさん。」

この 光二こそ、きょうだいだけが しっている、シルバー仮面であった。

                            渡辺 正美・画

シルバー仮面」(とびだすえほん)P.1、2の解説

 本を開くと、春日兄妹の5人が現れるジープに乗っているのが光二だ。ゴツゴツとした岩場を、地球を守るため宇宙人と戦う5人の兄妹がジープを中心に周りを取り囲んでいる。

<登場ヒーロー>

  • 春日 光一
  • 春日 光二(シルバー仮面
  • 春日 ひとみ
  • 春日 光三
  • 春日 はるか

<登場場所>

  • 岩場

<登場するしかけ>

<このページの画>

  • 渡辺 展正美

 

飛び出す絵本「シルバー仮面」Part.2

シルバー仮面

★「シルバー仮面」の表紙と裏表紙

<表紙>

<裏表紙>

★『「シルバー仮面」ばんそうのとびだすえほん』の基本情報

  • 発行年月日/1972(昭和47)年5月25日
  • 発行所/株式会社 万創
  • 編集人/辻 勝三郎
  • 発行人/山田 高旦
  • 印 刷/凸版印刷株式会社
  • 本のサイズ/B5

<お断り>

 文中に差別的な言葉が使われていますが、原文を忠実に表すために使用しています。差別的な意図は一切ありませんので、ご了解願います。

 

飛び出す絵本「ゴジラGOZDILLA 伝説」Part.9

★「ゴジラGOZDILLA 伝説」(ポップアップ)の面白情報箱②

★初代「ゴジラ」が映画の中で倒したテレビ塔は東京タワー?

 品川の八ツ山橋あたりに上陸した初代ゴジラは、国会議事堂やテレビ塔を破壊した。破壊されたテレビ塔を東京タワーだと思っている人もいるようだが、東京タワーが完成したのは、1958年(昭和33年)で、1954(昭和29年)の初代ゴジラの映画上映時には、まだ存在していない破壊されたのは、日本放送網の鉄塔だと思われる。

ゴジラと共にやって来た高度経済成長の神武景気

 1954年(昭和29年)、ゴジラの映画が上映されたこの年から始まった好景気を日本の国が始まって以来の好景気として神武景気命名された。ゴジラと共にやって来た高度経済成長で、1974年(昭和49年)の石油ショックで景気後退が起きるまでの20年間は、日本が大きく発展していった時代で、アメリカにつぐ自由主義経済第2位の経済力を持つことになった。ゴジラのお陰

ゴジラと共にやって来た国防意識?

 1954年(昭和29年)は、戦後の国防を考えるうえで大きな転機となった年平和と秩序を維持し、国民の人名と財産を保護するために防衛二法(防衛庁設置法、自衛隊法)が公布、施行された。ゴジラが国防意識をもたらした?

★特撮の神様「円谷英二」はどんな人?

1901年(明治34年)生まれ福島県須賀川市出身。本名は、圓谷英一(つむらや えいいち)特撮(特殊撮影)技術の第一人者で、映画やテレビ業界に多大な功績を残したことから「特撮の神様」と呼ばれている。円谷のもとには、若く才能のある人材が集まり、作品制作を通して技術とその後の特撮映像の発展に貢献した。

★「円谷英二」は、怪獣が血を流すシーンは撮らなかった

「残酷シーンは、子供によくない」と、怪獣が血を流すシーンを一切撮らなかった「子どもに夢を」という思想を底流に持って作品に取り組んだ

★映画「ゴジラ」誕生の秘話

円谷英二は、第2次世界大戦中、戦争をテーマに映画を作らざるを得なかったが、戦争が終わったことで、みんなに喜んでもらえる映画が創りたいと考え、1948年に「円谷特殊技術研究所」を設立して映画作りに専念することにした。円谷は、1933年、アメリカで大ヒットした「キングコング」見て、衝撃を受けていた。自分も恐竜をテーマに映画を作りたいと考えていた1954年にビキニ諸島で日本の漁船、第五福竜丸アメリカの水爆実験の犠牲に乗組員がなった事件に遭遇した。このことをヒントに水爆で恐竜が目覚めたという映画を制作することで、核実験の恐ろしさを表したいと考えた。こうして、日本初の怪獣映画「ゴジラ」が誕生した。初代ゴジラの身長は、50メートルで体重は、2トン。30年後に制作されたゴジラは、身長80メ-トルで体重5トンにスケールアップされた。これは、個体の違いか?ゴジラ」は、アメリカの「キングコング」と並び、世界でもっとも有名な怪獣だ

★「ゴジラ」のネーミングはどこから?

ゴジラ」という名前は、陸の「ゴリラ」と海の「クジラ」をもとに作られた造語初代「ゴジラ」が制作されたころ、東宝に「グジラ」というニックネームの社員がいたようだ。ゴジラとグジラをもじったもので、ゴジラのネーミング制作に影響を与えたようだ。ホント?

★「ゴジラ」は、着ぐるみに人が入って演じていた

1964年、東宝が第1作目の特撮怪獣映画「ゴジラ」を公開してから始まるシリーズ作品を「ゴジラ映画」と呼んでいるゴジラ映画では、演技者が着ぐるみに入って演じる手法をとって撮影をしたが、それ以前の映画1933年、アメリカで制作された「キングコング」は、一コマ一コマ、キングコングを動かしながらコマ撮りをしてつなげていく手法をとっていた。コマ撮りで映画を完成させるには、7年程度の歳月が必要となる。早く完成させるためには、着ぐるみで撮影する方法しかなかった。結果、これが臨場感のある画面を作り出した。その後、日本の特撮の主流となり、多くの作品を制作することになった。

★初代ゴジラの造形と重さは?

ティラノザウルスの胴体にステゴザウルスの背中にあるトゲを付けたプロポーションに、ワニの体表に似た細長いウロコをもって粘土模型が創られた。着ぐるみの自重だけで63キロもあった。

ゴジラの身長は、作品によって違っている?

最初の作品(1954年)での身長設定は、50メートルだったが、1984年には、周りのビルの高層化に合わせて80メートルになった。その後、1991年には100メートルになり、2016年の「シン・ゴジラ」では、118,5メートルと周りの街並みに合わせて巨大化していった。

★初代「ゴジラ」の中で演じた役者はだれ?

 初代ゴジラの着ぐるみに入って演じたのは、中島春雄さんという屈強な肉体を持った役者世界で初めて着ぐるみを着て演じていたが、人間が入っていることを感じさせず、人間的な動きを排除するために、無駄のない動作を心がけていた。さらに、上野動物園に1週間通って、動物たちの動きを観察した。一番参考になったのは、象だったようで。すり足で、足裏を見せず、重量感があったとのこと。ゴジラのゆっくりとした動きや、すり足のような足の運びは日本伝統芸の「能」の動きを参考にしている。また、ゆっくりとした動きを再現するために、ゴジラの足裏に鉄板の下駄が入れてあって足が上がりにくく工夫を加えていた。ゴジラを演じた中村さんは、「のどの部分に小さな穴があって、そこから外を見て、息を吸う。暑いし、重いし、苦しいしい密閉空間だった」と話をしていた。

★着ぐるみの「ゴジラ」にリアル感を出すのに大事な役割を果たしたのがミニチュアの魔術

ゴジラが破壊する街並みにリアル感があることが大事当時の東京をそっくりミニチュアで再現するために、写真を撮って図面を引いて25分の1にスケールで作っている。制作者には、宮大工というスペシャリストも参加していた。さらに、リアル感を出す決め手は、空気の層を表現するために煙をたくことで遠くをぼかし、遠近感を出した。

★初代「ゴジラ」が破壊した建造物は何がある?

 海から上陸して最初に破壊したのは、品川駅、八ツ山橋の鉄橋。そのあと都心に向けて銀座松屋を炎上させ、銀座和光ビルの時計台、国会議事堂、NHKの電波塔などを破壊し、隅田川勝鬨橋を掴んで放り投げる。破壊することを銀座松屋銀座和光へ許可を取っていなかったので、クレームがついたという伝説がある。

ゴジラの鳴き声は、どうやって作られたの?

 存在しない架空の怪獣の声を作るためには、色々なアイディアや工夫が必要だ。最終的に採用されたのは、作曲家の伊福部昭のアイディアによるコントラバスに滑り止めの松ヤニを塗り、皮手袋でこすった音が元に、音を重ねるなど加工して完成した。

ゴジラ映画は、アイディアの宝庫だった

ゴジラが吐く熱線で鉄塔が溶けてグニャグニャになる場面を撮影するのに、ミニチュアの鉄塔を「ロウ」でつくりグニャグニャ感を再現した

②巨大なゴジラと役者が演じる場面は、あらかじめ撮影しておいたゴジラの大きな顔を、スクリーンの後ろから映して、その前で役者が演技をする手法「スクリーン・プロセス」を活用した

③爆風でビルが壊れていく場面再現するために、風で簡単に飛んでいく「ウエハース」でミニチュアのビルを作って、強い風を送って粉々になっていく様子を再現した

④ビルが火災で燃え上がる場面では、「たどん(木炭の粉を固め乾燥させた燃料)」でビルを作り、燃え上がる場面を再現した

★「ゴジラ」のロゴの特徴は?

この飛び出す絵本(作品)の表紙で見て取れるが、ゴジラのタイトルロゴには、特徴がある。それは、「ゴ」や「ラ」の右上の角の尖っているところがカットされて、角が取れている

★映画「ゴジラ(初代ゴジラ)」の公開と「ゴジラの日」

1954年11月3日、ゴジラシリーズの第1作「ゴジラ」が日本で公開された。監督は本多猪四郎、特殊技術を円谷英二、脚本を村田武雄、音楽を伊福部昭が担当日本での観客動員数は、961万人の大ヒットとなった。当時の日本の人口は、8800万人だったから、国民の11%が観たことになる。なお、ゴジラ」の第1作が公開された11月3日は、「ゴジラの日」に制定された。ちなみに11月3日は、「手塚治虫」の誕生日でもある

ゴジラ映画は、海外でも大人気

スターウォーズ」のルーカス監督や「ET」のスピルバーグ監督を夢中にさせた。スティーブ・ジョブスも、幼いころに「ゴジラ」で体験した恐怖感を再現したいという思いが「ジェラシック・パーク」につながったと話をしている。

1956年、アメリカで公開された「ゴジラ」は、キング・オブ・モンスターの称号を得た。

★「ゴジラ」の漫画版は、映画上映に合わせて作られていた?

ゴジラ」の映画公開は、1954年。この年に、月刊「おもしろブック」誌上で絵物語「大長編映画物語 ゴジラ」が掲載されている。絵物語は、紙芝居と同じような形式で絵をもとに物語をつづっていくもの作画は、ゴジラのキャラクターデザインにも関わっていた阿部和男が担当し、原作は香山滋

翌年の1955年には、「少年クラブ」に、香山滋の原作にギャグマンガ家の杉浦茂が「ゴジラ」を発表した。

★「ゴジラ」は新宿区民?

2015年に新宿区で発表された「歌舞伎町ルネサンス」。誰もが安心して楽しめる「エンターテイメントシティ歌舞伎町」の実現に向けた取り組みが始まった。その一環として新宿東宝ビルに、実物大のゴジラの首から上の頭部が設置された。このことを受けて新宿区長は、ゴジラに特別住民票を交付し、新宿観光特使に任命した。住所は、東宝ビルの所在地らしい

 

飛び出す絵本「ゴジラGOZELLA 伝説」Part.8

★「ゴジラGOZDILLA 伝説」(ポップアップ)の面白情報箱①

<ストーリー(1954年・昭和29年に初めて公開されたゴジラ映画を基に制作)>

この本(作品)は、1954年に公開された映画、初代「ゴジラ」のストーリーを基にして制作されている。初代「ゴジラ」は、当時、南太平洋のビキニ諸島でおこなわれた核実験をヒントに、その核実験が原因でよみがえった怪獣「ゴジラ」が人間社会へ与えた恐怖として描かれた

<映画「ゴジラ」のあらすじ>

小笠原諸島で貨物船や漁船が消息を絶つ事件が発生し、救出された乗組員は「大きな生き物に襲われた」と訴え、その近くの島では、その生物によって村が壊滅されてしまった。島の各所から放射能が検出された。異様な咆哮と共に、巨大生物が姿を現した。水爆の洗礼を受け、新たな命を得て蘇ったジュラ紀の恐竜、海神ゴジラと名付けられた、その生物は、その後、品川沖に上陸し、銀座のビルや国会議事堂、テレビ塔などを破壊し都心を恐怖におとしいれた。その惨状を目にして古生物学者の芹沢博士は、破壊兵器になることを恐れて開発したことを秘密にしていた「オキシジェン・デストロイヤー」を使用することを決意した。芹沢博士は海中に潜水し、潜んでいるゴジラを倒すために「オキシジェン・デストロイヤー」を起動させ、ゴジラと共に自決してしまった。

しかし、ゴジラは、他にも生存している可能性があり、ゴジラシリーズにつながることになる。

★この作品に登場する人物

  • 芹沢博士

若き科学者名前は、芹沢大助酸素の研究を進める中で水中酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」を発明したが、兵器として利用されることを恐れ公表しなかった。しかし、ゴジラが破壊した東京の惨状を目にして、ゴジラを退治するために「オキシジェン・デストロイヤー」使用を決意する。芹沢博士は、自ら潜水服を着用し、海中に向かいゴジラの目の前で、装置を作動させ、ゴジラと共に死んでいった

 

 

飛び出す絵本「ゴジラGOZDILLA 伝説」Part.7

★「ゴジラGOZDILLA 伝説」(ポップアップ)P.9、10の映像と本文

<本文>

科学者 芹沢博士は、水中の あらゆる 生物を ほろぼす オキシジェン・デストロイヤーを 発明していた。 博士は 海中に いる ゴジラに 近づき、ついに ゴジラを たおしたが、発明が 兵器として 使われる ことを おそれ、自からの 命を たった。

ガウォォオー ォォォォオオー ンン。  ゴジラの 悲痛な さけび声が 東京湾に ひびき わたった。

ゴジラGOZDILLA 伝説」(ポップアップ)P.9、10の解説

 本を広げると、海中からゴジラ現れてくる。遠くには、海上保安隊の艦船が見える空には、ゴジラを見張っているヘリコプターが飛んでいる。海中では、潜水服を着た芹沢博士自らが発明した「オキシジェン・デストロイヤー」を手にしてゴジラを倒すために攻撃をしかけようとしている。

<登場場所>

<登場するしかけ>

  • 本を広げると、巨大なゴジラが海中から現れる

 

飛び出す絵本「ゴジラGOZDILLA 伝説」Part.6

★「ゴジラGOZDILLA 伝説」(ポップアップ)P.7、8の映像と本文

<本文>

テレビ塔で 実況放送を 行って いた 人々を おそう ゴジラ。水爆の 熱線を 生きのびた ゴジラを ふせぐことは だれにも できないのだろうか・・・・・

ゴジラGOZDILLA 伝説」(ポップアップ)P.7、8の解説

 本を広げると、テレビ塔の窓越しにのぞき込む怖い顔のゴジラが現れる。大きな腕で窓ガラスを壊して実況放送をしている人たちを襲っている窓から見える街は、大火災で炎に包まれている。

<登場場所>

  • 東京タワーと言いたいところだが、初代ゴジラが公開時には、まだ、東京タワーは完成していなかったので都内のテレビ塔が正解

<登場するしかけ>

  • 本を広げると、巨大なゴジラが牙をむいている様子が現れる。