飛び出す絵本「ウルトラ大行進 怪獣オンパレード」Part.10

f:id:pop-up-books:20220130191442j:plain

f:id:pop-up-books:20220130191500j:plain

f:id:pop-up-books:20220130191524j:plain

f:id:pop-up-books:20220130191540j:plain

f:id:pop-up-books:20220130191556j:plain

 

★この本の発行所は(株)フジテレビジョン。しかし、ウルトラマンをはじめウルトラ・シリーズのほとんどは、TBSで放映されているはず。なぜ、フジテレビ発行になっているのか?

 この本の構成は(株)小出信宏社が担当。この小出信宏社の子会社に(株)万創という会社があった。万創は、「ばんそうのとびだすえほん」の出版で有名な会社だが、実はこの会社の前身は、フジテレビの出版部であった。このような関係で、TBSで放映されたウルトラマンに関する「ウルトラ大行進 怪獣オンパレード」フジテレビジョンが出版したという貴重な本である。

★この本では、ウルトラマンウルトラセブンは主役ではないの?

 この本の表紙と裏表紙には、ウルトラマンウルトラセブンが登場している。しかし、この本ではウルトラマンたちが主役ではなく、怪獣が主役なのだ。ヒーローの登場は、ページ1、2で登場したウルトラセブンが空を飛んでいる小さな姿だけだ。有名な怪獣から、マイナーな怪獣まで数多くの怪獣が登場している。まさに怪獣オンパレードだ。

★唯一この本の本編に登場しているヒーロー、ウルトラセブンとは?

 ウルトラセブンは、M78星雲からからやってきた宇宙人。地球が宇宙からの侵略を受けていることを知りモロボシ・ダンという青年に姿を変えてウルトラ警備隊のメンバーになり、地球防衛の任務につくことになった。正しくは、ダンウルトラセブンに変身するのではなく、ウルトラセブンダンに変身しているといえる。

切れ味鋭いアイスラッガー、額から放つエメリウム光線、さらに破壊力満点ワイドショッカーなど強力必殺業技で怪獣や星人と攻防戦を繰り広げるのだ。

★怪獣の第一号の怪獣は?

 放映の順序で見ると「ウルトラQ」の第一話に登場した「ゴメス」が怪獣第一号といえる。しかし、怪獣1号については諸説ある。そのひとつの原因が放映順に撮影されなかったことだ。撮影は、第四話から始まった。第四話の「マンモスフラワー」で登場した「ジュラン」が一号という説もある。

科学特捜隊とは?

ウルトラマン」に登場し、正式名称は科学特別捜査隊。警察では手に負えない事件の捜査や他の星からの侵略者からの防衛を任務としている。隊員は、ムラマツ隊長をはじめとした少数精鋭の5名である。

★ウルトラ警備隊とは?

 ウルトラ警備隊は、「ウルトラセブン」に登場し地球防衛軍極東基地に属している。当初隊員は6名だった。その後、ウルトラセブンが加わって7名になったのである。任務は、地球戦略を企む宇宙星人と怪獣を相手に地球防衛のための戦闘である。最新の設備と強力な兵器を装備している。

ポインター号とは?

 ウルトラ警備隊が装備している水陸両用の万能車。最高速度365kmで6人乗り。ウルトラミサイル光線銃光波バリヤーなどを装備している。

 ポインターの撮影には、円谷英二監督の子息が所有していたマイカーのシボレー・コルペアが利用されていた。車のボディーにウルトラ警備隊のマークを付けてポインターに変装させたのだ。

★「モノレール」って、いつできたの?

 この本に登場した東京モノレール羽田線の開業は、1964(昭和39)年だった。現在は、モノレール浜松町駅から羽田空港第2ビル駅までを結ばれているが、この本が出版された当時は、モノレール浜松町駅から東京国際空港羽田空港のあいだを行き来していた。東京オリンピックの開催に合わせて1964(昭和39)年9月17日に開業し、その開業から、一ヶ月も経たない10月10日が東京オリンピックの開会式がおこなわれた。まさにギリギリの開業であった。

 モノレールができて5年経ったころ、この本は出版されている。成田国際空港ができる前だったので、世界の国々から多くの観客はこのモノレールを利用して都心にやってきた。開業当時は、途中駅がなかったので羽田空港駅浜松町をノンストップで運営されていた。2013(平成24)年1月現在、駅の数は11を数えるようになっている。

★「新幹線」は、いつできたの?

 新幹線は、1964(昭和39)年10月1日に開業した。東京オリンピック開会式当日に新幹線は運転を開始したことになる。開業当時、東京駅新大阪駅を最高速度210キロの「ひかり」で4時間、「こだま」だと5時間ばかりで運行していた。新幹線の開通前は、特急で6時間半かかっていた。民営化される前の国鉄時代の偉業である。

 東京オリンピックの開催に合わせて都心の主要な交通インフラができあがった。新幹線をはじめ高速道路モノレールなど現在の都市交通ネットワークの基本がこの時代にできたのだ。

 現在、最高速度は270キロで、東京~新大阪間は、2時間25分で運行している。

★「東京タワー」って、いつできたの?

 東京タワーは、1958(昭和33)年12月23日に完成した。ちなみに正式名は、「東京電波」という。放送局ごとにあった電波塔をまとめることを目的につくられたのが東京タワーである。

 高さ332.5メートル。2012年に東京スカイツリーができるまでの51年間もの間、日本一高い建造物で、東京のシンボルとして修学旅行の見学場所の人気スポットであった。東京スカイツーリーに日本一高い建造物の座をゆずることになったが、記録より記憶の東京タワーということで相変わらずの人気者だ。

 東京タワーの鉄塔建設には、戦車を解体して建築材料として使用され作られている。使用された戦車は、朝鮮戦争で使用されたアメリカ軍の戦車で、鉄鋼材料として日本に売却されたもの。作業は朝の6時から夜の6時までおこなわれ延べ22万人を動員された。塗装を担当した作業員のなかには、塗装職人であったビートたけしの父親もいた。

 怪獣に襲われることが多い東京タワーだが、ゴジラモスラガメラなど怪獣ものの映画の初期から、怪物の攻撃ターゲットになっていた。

 東京タワーという名前は、公募で決まったということは、割と知られていない。公募で一番多かったのは「昭和塔」だったのだが、審査員の一人であったタレントで声優の徳川夢声氏が「この塔を、ぴったり現しているのは「東京タワー」と強く押したので「東京タワー」に決まったそうだ。昭和タワーでは、タワーのインパクトが弱くて、これだけ多くの人に愛されることもなかったであろう。また、東京タワーが国民的人気スポットでなければ怪獣に襲われることがなかったであろう。徳川無声氏の優れた感性に感謝が必要だ。