飛び出す絵本「アタック№1」Part.9
「アタックNo1」の面白情報箱②
★「アタックNo.1」の原作漫画
「アタック№1」は、女性スコポン漫画の第一号だ。作画は、浦野千賀子さん。「週刊マーガレット(集英社)」誌上で、1968年(昭和43年)1月~1970年(昭和45年)。の間、連載された。
連載当時の1960年代後半には、「サインはⅤ!」「巨人の星」などスポ根(スポーツ根性もの)の漫画が多く発表されいずれも大ヒットとなった。さらに漫画連載の人気を受けて、テレビアニメや実写版のテレビ番組が次々と放映された。
★著者 浦野 千賀子
1946年(昭和21年)生まれ。若くして貸本漫画でデビュー。18歳で「別冊マーガレット」誌上で「友情の回転レシーブ」でメジャーに進出した。代表作は、この「アタック№1」。一大バレーボールブームを巻き起こした。夫は、漫画家の名胡桃(なぐるみ)で浦野作品の多くのストーリーやネームは、彼が担当していたようだ。
「アタック№1」連載中、大阪にバレーボールの取材に行ったとき、体調を崩して入院したが、連載を止めるわけにもいかず入院中のベッドのうえで漫画を描いたというエピソードがある。まさにスポ根の熱意で連載を続けた。
★「アタックNo.1」の舞台はどこ?
「アタック№。1」の舞台は、静岡県の富士見市がモデルと思われる。原作では、漫画の背景として富士山がたびたび使われている。また、静岡の主要産業である製紙工場のエントツも描かれている。
最寄り駅は、原作漫画の中で「富士見ヶ浜駅」と出てくるが、静岡県には実在しない。「富士見ヶ浜駅」は、静岡県だけでなく全国で探しても存在しない。
★アタックNo.1は海外でも大ヒット
「アタックNo.1」は、世界中の国々でテレビ放映された。イタリアでも放映されたが、放映当時は、イタリアではバレーボールはメジャーなスポーツではなかった。しかし、「アタックNo.1」が放映されると大人気を得て、バレーボールに興味を持つ子供たちが増えた。そしてその子供たちが大きくなったときには、イタリアは世界でチャンピオンになるバレーボール大国に育っていった。
★この本に登場する人物
- 鮎原こずえ
この漫画の主人公。バレーボールが大好きな女の子。中学2年の時に東京にある明治時代からの名門で文武両道の明法学園から結核の天地療養で空気の良い静岡の叔父さんの家に移り、富士見学園に転校した。転校早々の中間テストで学年トップになった。
その後、父親も会社の富士見ヶ浜支店に転勤してきて家族一緒に暮らすようになった。
バレーボール部に入部後、持ち前の負けず嫌いを発揮しキャップテンとして、部員とのトラブルを乗り越えながら全国中学女子バレー大会で優勝した。
学業でも、進学校の明法学園で首席だったが、富士見学園でも首席に輝き文武両道のヒロイン。バレーボールだけでなく、高跳びでも中学新記録を出し運動神経抜群だ。
中学時代、日本代表メンバーに選ばれ、アメリカでおこなわれた世界ジュニア女子バレーボール選手権に出場し、決勝でソ連(現:ロシア)と対戦。こずえたちのトリック攻撃で世界一の栄冠にも輝いた。
- 早川みどり
鮎原こずえの同級生で、バレーボール部のチームメート。元々は、富士見ヶ浜に住んでいて一之瀬努とは、幼馴なじみだったが千葉に移転。こずえと同じように中学2年時にパパの転勤で富士見学園に転校してきた。転校当初は、キャプテンの座を争っていたが、ゲームを通してチームワークの大切さを学び、こずえの大親友になった。常に行動を一緒にする大の仲良し。
- 一之瀬努
富士見学園の同級生で鮎原こずえの遠縁にあたる。生徒会の副会長。新聞部に入って、こずえの長所、短所をまとめ、こずえの活躍を支援した。しかし、交通事故で亡くなってしまう。死亡の原因は、原作漫画では自動車事故だが、テレビアニメでは、子どもを守ろうとして交通事故にあったことになっている。
- 本郷俊介先生
富士見学園の英語教師で、バレー部のコーチ。大学時代は、野球部に所属しスポーツ万能だったので、バレーの経験がないにもかかわらず、自ら校長にバレー部のコーチを志願した。
この本の「合宿(P.3)」で出てくるようなハードな練習を進めたため、部員が退部し、PTAからスパルタすぎると非難を浴びた。
しかし、初勝利を挙げた後に選手たちと心が通い合い、日本一に向けて指導を続け、「決勝戦(P.7)」「優勝(P.9)」にあるように、日本一に輝いた。
- 中島先生
富士見学園の体操部の顧問。鮎原こずえは、回転レシーブをマスターするために体操部に入り完全に回転レシーブを自分のものにし、試合で大活躍をしました。
体操部の練習風景は、この本の「体操部(P.5)」で紹介されている。