飛び出す絵本「巨人の星№2」Part.9

★「巨人の星 №2」の面白情報箱②

★「巨人の星」の原作まんが

  ・1966年~1971年 週刊少年マガジン」(講談社で連載

巨人の星」の著者

原作は梶原一騎作画は川崎のぼるが担当した。

 原作担当の梶原一騎は、1936年(昭和11年)生まれで東京市浅草出身。漫画の原作者だけでなく、小説家、映画プロヂューサーとしても活躍した。30歳のときに、巨人の星」の原作で人気を得て、その後あしたのジョー」「タイガーマスク」など闘う男を題材にスポ根ものの原作で名声を上げた。また、型破りな生き方やスキャンダルでも話題を呼んだ。

 作画担当の川崎のぼるは、1941年(昭和16年)生まれで大阪市出身。さいとうたかをのアシスタンを経て貸本漫画歌家として活躍をしていた。

25歳の時にフレッシュな漫画家をということで「巨人の星」の作画者として選ばれたが、野球の経験や知識がなく、既に連載を何本かを抱えていたので、最初は断った。しかし、しつこく依頼を受けてしぶしぶ作画を受けることになった。しかし、巨人の星の作画を受け持つようになって、忙しいなかであったが、作風がち密になっていった。いなかっぺ大将」「てんとう虫の歌など多くの作品がある。

★この作品に登場する人

星飛雄馬

この作品の主人公高校を中退し、全てを失った飛雄馬の心は、寂しさのあまり「自分を認めてくれる球団があるなら」と巨人以外の他球団へも心が動いた。しかし、父・一徹は飛雄馬のそんな気持ちを叱責し「入団すべき球団は巨人のみ」と他の球団への入団を完全拒否した。

巨人の川上監督は、「飛雄馬を拒絶すると星親子二代に渡って巨人から締め出すことになる」ペナントレースの最中に入団テストをおこなった雄馬は父・一徹が使っていたスパイクを履き多摩川グラウンドに向かう。伴宙太もともに巨人の入団テストを受け、テスト生として入団を果たした。伴は、補欠合格で入団することができた。

その後、雄馬は努力と将来性を認められて正選手となり、川上哲治永久欠番であった「背番号16」を引き継いだ入団当初は、2軍で過ごしたが紅白戦で好投し1軍入りを果たした。

しかし、プロ野球選手としては小柄な体格の彼は“球質が軽い”という致命的な欠点をライバル達に見抜かれて苦労を重ねる。なかなか結果が出せず悩んだ末、鎌倉のお寺で聞いた僧侶の説教をヒントに魔球「大リーグボール1号」を編み出し活躍につなげた。

 大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団した佐門豊作阪神タイガースに入団した花形満と死闘を繰り返し、巨人は日本一に輝いた。

 出版当時の時代背景が見て取れる。戦前から巨人の4番打者であった川上哲治が監督として登場している。1961年から1974年まで巨人の監督を務め、前人未到日本シリーズV9を達成している。

  • 伴宙太

青雲高校で雄馬の速球を受けられる捕手がほかにいなかったこともあり、柔道部から野球部に転部し、飛雄馬とバッテリーを組んだのが伴宙太だ。父親は、伴自動車工業の社長で青雲高校のPTA会長

 雄馬とともに巨人のプロテストを受けて合格した。

雄馬の父巨人の三塁手だった。戦争で肩を壊したが、戦後、選手として復活した。肩の弱さをカバーするために、三塁から一塁への送球を変化させ走者にぶつけるかのように見せかけてアウトをとる魔球を編み出した。

息子の飛雄馬巨人の星にするため、日雇い労働者として肉体労働に励み生活を支えた。雄馬に大リーグ養成ギブスでの訓練など数々の試練を与え偉大な野球選手として成長させていく。

一徹によるちゃぶ台返しが有名だが、原作では一度だけしかない。

  • お姉さん(明子)

 母親代わりとして、雄馬を支えた思いやりのあるお姉さん巨人の投手となった飛雄馬と中日の打撃コーチに就任した一徹の仲が険悪になった時、家を出てガソリンスタンドで働いていた。そのおかげで、ガソリンスタンドに来た花形満と結婚に発展することになった。伴宙太もお姉さんに告白したがフラれている。

  • オズマ

フルネームは、アームストロング・オズマアメリカ大リーグ・セントルイス・カージナルスの選手だった。一徹のいる中日に契約選手として入団。一徹に飛雄馬が子供のころ使っていた大リーグボール養成ギプスをオズマ用に改良したものを巻かれ、特訓を重ねた。

退団して帰国後、ベトナム戦争に出征し、そこで受けた傷がもとで非業の死をとげる。

 紅洋高校の天才バッターで花形モーターズを経営する財閥の御曹司雄馬とは、生涯のライバルとなる。紅洋高校に進学後、無名の野球部を甲子園出場候補まで進歩させる。甲子園大会で花形は開会式の選手宣誓をする。勝戦で、指を負傷した飛雄馬からサヨナラホームランを打つ雄馬と戦うために巨人のライバルの阪神タイガースに入団する。

 作画を担当した川崎のぼるは、花形満について当時、阪神タイガースのエースで「ミスタータイガース」と言われていた村山実をモデルにしたと説明している。投手と打者の違いはあるが全力投球をする村山実の勇姿を評して機関車のようにガムシャラに走ってマラソンや1万メートルでオリンピック金メダルに輝いたエミール・ザトペックに例え「ザトペック投法」と呼ばれていた。

後に、雄馬の姉、明子と結婚し、飛雄馬の義理の兄になる。

  • 伴宙太のお父さん(伴大造)

 星雲高校野球部のキャッチャー伴宙太の父親で伴自動車工業の社長で青雲高校のPTA会長花形進の父親が経営する花形モーターズとは、商売敵の間柄。