飛び出す絵本「アタック№1ライバルをたおせ!」Part.9

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★「アタックNo.1」の原作漫画

 「アタック№1」の作画は、浦野千賀子さん。「週刊マーガレット集英社」誌上で、1968年(昭和43年)1月~1970年(昭和45年)。の間、連載された。

 連載当時の1960年代後半には、「サインはⅤ!」「巨人の星」などスポ根(スポーツ根性もの)の漫画が多く発表されいずれも大ヒットとなった。さらに漫画連載の人気を受けて、テレビアニメや実写版のテレビ番組が次々と放映された。

 

★著者 浦野 千賀子

 1946年(昭和21年)生まれ。若くして貸本漫画でデビュー。18歳で「別冊マーガレット」誌上で「友情の回転レシーブ」でメジャーに進出した。代表作は、この「アタック№1」。一大バレーボールブームを巻き起こした。夫は、漫画家の名胡桃(なぐるみ)で浦野作品の多くのストーリーやネームは、彼が担当していたようだ。

 「アタック№1」連載中、大阪にバレーボールの取材に行ったとき、体調を崩して入院したが、連載を止めるわけにもいかず入院中のベッドのうえで漫画を描いたというエピソードがある。

 

★この本に登場する人物

  • 鮎原こずえ

 この漫画の主人公。バレーボールが大好きな女の子。中学2年の時に結核の天地療養で明治時代からの名門・明法学園から静岡の富士見学園に転校した。

 バレーボール部に入部後、持ち前の負けず嫌いを発揮しキャップテンとして、部員とのトラブルを乗り越えながら全国中学女子バレー大会で優勝した。

 学業でも、進学校明法学園で首席だったが、富士見学園でも首席に輝き文武両道のヒロイン。バレーボールだけでなく、高跳びでも中学新記録を出し運動神経抜群だ。

 中学時代、日本代表メンバーに選ばれ、アメリが出おこなわれた世界ジュニア女子バレーボール選手権に出場し、決勝でソ連(現:ロシア)と対戦。こずえたちのトリック攻撃世界一の栄冠にも輝いた。

 富士見高校へ進学したが、長年優勝から遠ざかっていたバレーボール部を再び優勝を目指して、降りかかる試練を負けず嫌いで、決してくじけない頑張り屋を貫き通すヒロイン。早川みどり大沼みゆきとともに三人が協力し合い機関銃攻撃を編み出した。その後も次々と新しい大技を生み出し、高校でも全国制覇を果たす。

 高校卒業後、バレーボールの名門ヤシマカメラに入社。実業団でも大活躍。

 

  • 早川みどり

 鮎原こずえ中学、高校の同級生で、バレーボール部のチームメートこずえと同じように中学2年時に富士見学園に転校してきた。転校当初は、キャプテンの座を争っていたが、ゲームを通してチームプレイの大切さを学び、こずえ大親友になった。高校進学後も無二の親友は続き、二人でチームをけん引していった。

 得意わざは、必殺サーブの「木の葉落とし」。常に行動を一緒にする大の仲良し。

 

  • 石松こと石原松枝(この本では、石原松子になっている)

 富士見高校のムードメーカー。見事なトスを上げるセッター石松は、愛称。こずえとのコンビで攻撃する回転トスは、確実に得点が奪える必殺アタックだ。  

本名は、原作漫画では、石原松枝だが、アニメでは石田松江と異なっている。この本では、石原松子となっている。合気道2段

 

  • 大沼みゆき

 鮎原こずえ富士見高校入学時のキャプテン。原作では、1年先輩だがテレビアニメでは、2年先輩となっている。こずえが入学当時、バレーボール部は、古い体質を継承した権威主義がはびこるチームであった。

 大沼みゆきがワンマンとなった背景は、父親(大沼大二郎)東洋自動車という大会社の社長PTA会長という立場に起因している。学校側は、PTA会長の娘である大沼みゆきに遠慮して我がままを許していた。

鮎原いずみの父親は東洋自動車に勤めていて新エンジン開発担当責任者。すなわち鮎原大沼ふたりの父親は、同じ会社に勤めている社長社員の関係。

 大沼みゆきは、美沢学院との試合に負けて、一旦バレー部を退部するが、こずえの説得で復帰して名セッターとして活躍する。

 

美沢学院のバレーボール部のキャプテン美沢学院は、富士見高校と同じ富士見市にあり、ブルジョア学校の新しい学校でバレーボール部も創部間がない。

三原は、自宅の庭に時速80キロのスピードでボールを出すマシーンを設置しレシーブを鍛えた。このマシーンは、野球のピッチィングマシーンと同じ原理でバレーのボールが打ち出されるもの。後にこのマシーンから繰り出されるボールをダイレクトスパイクすることでスパイク力を強化する。

 

  • こずえの両親(父と母)

こずえの父

原作では大沼みゆきの父が社長である「東洋自動車」の開発担当の部長を務めている。テレビドラマでは「良夫」と言われている。

 

こずえの母

和服姿が特徴の女性。テレビドラマ版での名前は「亮子」と言われている。

 

  • 岩島先生(岩島五郎)

 富士見高校のバレーボール部を清水監督から引き継いだ監督岩島先生が書いた書「闘魂和」。バレーボールチームに必要なものは、闘魂と和だという、目指す理想のチームのあるべき姿を現した言葉だ。バレーボールは、肉弾戦と違って、敵味方が別々のコートに分かれての戦い。味方の中に敵をつければ、それだけで負ける。なんといってもチームワークがなくていけえないという哲学。こずえたちにとっては、怖くて恐ろしい人。でも、頼もしくてでっかい人とも思える。

 こずえには、すばらしいジャンプ力を生かすように指導。また、大沼にはセッターになるように指導。スパイクもできるが、トスが抜群と見抜き信頼されるリードオフマンになるように勧めた。

 岩島先生は、インターハイを前に突然、郷里の四国に帰ることになった。父親が危篤で父親が経営している四国の観光ホテル次ぐことになったのだ。岩島先生と婚約した清水先生も四国に行くことになっている。

 

★「アタックNo.1」の舞台はどこ?

アタック№。1」の舞台は、静岡県富士見市がモデルと思われる。原作では、漫画の背景として富士山がたびたび使われている。また、静岡の主要産業である製紙工場のエントツも描かれている。

最寄り駅は、原作漫画の中で「富士見駅」と「富士見ヶ浜駅」と二つの駅で出てくるが、二つの駅が存在することがもともと設定されていたのか、それとも間違えて統一されていなかったのか不明。

富士見駅というのは、中央線の長野県内にあるが、静岡県には実在しない。富士見ヶ浜駅は、静岡県だけでなく全国にも存在しない。

 

★得意ワザ

  • 機関銃攻撃

 この本にも登場している攻撃技。セッターの大沼みゆきとアタッカーの鮎原いずみ早川みどりの間でおこなわれる攻撃で近い距離でセッターの大沼が平行トスを送ったボールをアタッカーのいずみがアタックする。いまでは、クイックアタックと言われている攻撃のこと。

 普通のトスは、スパイカーが打ちやすいように上にあげるが、トスをネットの近くで斜め横に送り、スパイカーがそのタイミングに合わせて、スパイクするので、そのスピードに合わせたレシーブが困難となる。

 この攻撃は、鮎原いずみのジャンプ力を利用したもので、高校女子のバレー部員の平均ジャンプ力が60センチのところ、いずみは90センチ飛ぶことができることを活かした攻撃だ。ただ、3人の呼吸を合わせて攻撃するタイミングが重要。

 

  • 木の葉落とし

 鮎原こずえ早川みどりの得意な変化球サーブ。成功の確率が低く失敗する確率が高いため、調子のよい時にしか出せないワザだが、相手チームにとっては、驚異のサーブだ。

 サーブの打ち方は、トスを高くしバックスイングを大きくとって、やや低い位置でボールを平手でもって、巻き込むように打ち込む。そうすると、ボールが回転し、相手コートのネット際すれすれに急角度で落ちるので、レシーブすることが難しい。このワザは、鮎原こずえ早川みどりが一緒に富士見大学バレーボール部の合宿に加わったときに大原ゆりキャプテンに教わった攻撃型のサーブだ。

 

★岩島監督と清水前監督との関係は?

 鮎原いずみ富士見高校に入学した当時の監督は、女性の清水先生だった。清水先生は、清水校長の娘で学生時代はバレーボールの名選手だ。バレー部をさらに強いチームにしたいため、先輩の岩島先生に監督を依頼した。

 岩島監督は、鬼の岩島といわれるほどの猛特訓でチームの強化を図った。バレー部の部室に岩島監督が揮毫した「闘魂和」という額が掲げてある。

バレーボールは、肉弾戦と違って敵と味方が別々のコートに分かれての戦い。

味方の中に敵をつくれば、それだけで負けてしまう。「闘魂和」という言葉は、チームワークが一番大事という教えを表している。

岩島監督清水先生は結婚することになるが、岩島監督は父親が病気になったため、家業の観光ホテルの経営をするため四国に帰ることになった。監督の後任は、清水先生が勤めることになった。

 

★アタックNo.1は海外でも大ヒット

 「アタックNo.1」のアニメは、世界中の国々でテレビ放映された。イタリアでも放映されていたが、放映当時は、イタリアではバレーボールはメジャーなスポーツではなかった。しかし、「アタックNo.1」が放映されると大人気を得て、バレーボールに興味を持つ子供たちが増えた。そしてその子供たちが大きくなったときには、イタリアは世界でチャンピオンになるバレーボール大国に育っていった。